心に残る記事がありましたので、ご紹介いたします。 桜の季節になると、思い出すことがある。 9年前の今頃、私は週末の仕事を終えると、 妹が入院している病院に通う生活を送っていた。 3歳年下の妹は末期のがんだった。死の不安に 押しつぶされそうになっていた妹は、たとえ1分でも 1人きりになることを嫌がった。 病院までは車で2時間の道のり。 運転しながら満開の桜を何度も目にした。 車いすに乗せて桜を見に連れて行きたかったが、 すでに酸素マスクが話せない状態だった。 あの日、病室に入ると、バケツに入った大きな 桜の枝が目に入った。 「どうしたの。桜は折ってはいけないのよ。」と いうと、枕元に座っていた妹の恋人、 米国人のクリスがあわてて言った。 「コレ、仙台駅デ買ッテキマシタ。トッテキタノデハ アリマセン。」 大阪に住んでいたクリスは、夜行バスと電車を 乗り継いで福島まできていたのだ。 桜を見て、最初に「きれい」という言葉が 出てこなかった自分が悲しかった。 クリスはナイロン袋に入った桜の花びらも 見せてくれた。 「大阪ノ桜ハ散ッテシマッタノデ、セメテ 花ビラダケデモ、ト思ッテ、拾ッテキタノデス」 優しさに涙がこぼれそうになると、妹が言った。 「大阪駅の公衆トイレの前に散っていた桜なんだって」 泣き笑いで眺めた最期の桜だった。
「葬(おく)る」かたちはさまざまでも、 「想い」を大切に、偲ぶ時間をたくさん持ちたいものです。
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